「飲みニケーション」文化は根強い?

2018年6月1日

私は「飲みニケーション」という言葉が嫌いです。

誰が考えたのか分かりませんが、センスのかけらも感じないネーミングだと思います。

会社に根強く残る「飲みニケーション」文化

もともと仲の良い友人同士で飲む場合は、わざわざ「飲みニケーション」などとは言いませんので、おもに会社の飲み会(自由参加という名の半強制参加)に対して使われる言葉でしょう。

この「飲みニケーション」という言葉自体は、すでに死語と言われていて、さすがに「飲みニケーション」という言葉を発する人は自分の周りにもいません(いたらびっくりです)。

それでも、会社の人間と一緒に酒を飲むことによって、コミュニケーションをはかるという文化は根強く残っています。

会社の飲み会は、場合によっては有益な情報が得られることもあります。それでも、失う時間(割り勘の場合は金銭も)と精神的苦痛に比較すればコストパフォーマンスが悪すぎると思います。

誰のための飲み会?

会社内で周りの人間に聞くと、たいていの人は「会社の飲み会は参加したくない」と言います。
飲み会の席で楽しそうに振舞っている人でも、後で聞いてみると「昨日の飲み会は本当に疲れた」と言っていたりします。

みんな我慢しながら参加している飲み会って一体何なんだろうと思ってしまいます。
一体誰のための飲み会なのでしょうか。

会社の飲み会のやり過ごし方

私も、会社の飲み会には神経を使ってきましたが、最近は以前ほど気を使わなくなりました。
40歳過ぎると、良くも悪くも「若いころは気にしていたことが、段々どうでも良くなってくる」という現象があります。

「会社の飲み会に出たら、がんばって楽しそうに振舞う」ということも、段々どうでも良くなってきたことのひとつです。
最近は、会社の飲み会に出ても、周りの人の話を聞きながら(聞くふりをしながら)、黙々と飲んで食べる、話しかけられたら適当に答える、(答えたくない話には笑ってごまかす)という「省エネ作戦」で乗り切っています。

ニ次会には当然行きません。
一次会が終わった後は、大体お店の前で「次どうしよう」とかグズグズしているので(良く見る光景です)、そのような場合はタイミングをみて「お疲れさまでした」とさっさと帰るに限ります。

ただ、この作戦は若い人の立場では難しいかもしれません。
40歳を過ぎると会社内でも年下の人間が増えるので、どちらかというと、気をつかうより、気をつかわれる立場になっているから、このような作戦が通用するのかもしれません。
会社内での立場がまだ弱い若い人が同じことをするには相当な勇気が必要かもしれません。

「アルハラ」という言葉が認知されてきたのは時代の流れか?

よく分からないのは、会社の飲み会をやりたがる人たちの考え方です。
飲み会に誘う方は、良かれと思って誘っているのかもしれません。自分が飲み会好きだからみんな好きだろうと。
実際、飲み会の参加を断ると、「なんで?」と不思議そうな顔をする人もいます。

また、単に飲み会が好きという人だけではなく、部下とのコミュニケーションに悩んでいて、なんとか部下の本音を聞きたいと飲み会に誘う上司もいると思います。
ただ、コミュニケーション=飲み会という短絡的な発想では、飲み会嫌いの部下に対しては逆効果になると思います。

ただ、このように善意で飲み会に誘う人はまだマシですが、中には悪意を持って飲み会に誘う人もいるかもしれません。こちらが飲み会嫌いなのを承知で、一種の嫌がらせとして誘うケースです。
ここまでいくと「アルハラ(アルコールハラスメント)」です。

「飲みニケーション」という言葉が廃れた一方で「アルハラ」という言葉が認知されるようになったのは、時代の流れがそのような方向に向かっているということでもあり、私自身は良い傾向だと思っています。

今までは、このような行為を一言でいいあらわす言葉がありませんでしたが、今なら「それはアルハラです」と一言で指摘することができるからです。

潜在的にはたくさんいると思われる会社の飲み会が嫌いなサラリーマンにとって、住みやすい世の中になっていくことを願っています。